俺はもう一生努力から逃れることはできないのだろうなと悟った話

俺はもう一生努力から逃れることはできないのだろうなと悟った話

今日もばちばちに暑いですね!こんにちは!

 

今日はタイトルにもある通り、
俺はもう一生努力から逃げられないだろうなって話を書こうと思います。

前置き

突然だけど、皆さん哲学的な話は好きでしょうか!

 

自分の人生観とか、幸せとはなにかを考えてみたりとか、

 

俺は大好きです!考える葦です!

 

ちなみに自分の哲学の定義は、

 

答えのない思考を展開していって、自分なりの答えを探すことです。そこで、

 

ふと、去年(2019年)の夏のことを振り返ってしまったのですよ。

 

去年俺が何をしていたかというと、カフェと塾でアルバイトをしながら、受験勉強と為替の勉強をしていました。

 

1日の稼働時間は16時間くらいで、毎日バイトで「受験料、学費、投資」の元金を稼ぎながら勉強している日々でした。

 

正直、これだけだったらただ忙しいだけだし、死ぬほどつらい体験ではないと思うんですけど

 

この忙しい日々をベースに、プライベートな面で落ち込むことがあったので、今までの経験とか今の状況とか全部が辛くなってどうしようも無くなってるときでした。

 

情緒の振幅がもうびんびんに振れまくってて、幸せと孤独を一番感じたような気もしました。

 

でも思い返してみると、カオスな状況や大変な日々だったからこそ、些細な友達との時間等が泣くほど幸せに感じたりもしたんじゃないかって考えてしまったんですよ。

 

ここが今日の論点です。

 

もっとたくさん泣くほど幸せな経験がしたい!

 

 

だから今日俺が考えたいことを整理していくと

 

仮説①
情緒の振幅の振れ幅を増やすことで、相対的に幸せを感じることを続けることは可能か。(2019年の状況は再現性があるか)

仮説②
振幅を増やすことなく、泣けるほどの幸福(感情の上振れ)を感じることは可能か。それは今後何度も感じることは可能か。

 

この2つをちょっと考えていきたい!

 

ちなみに個人的には、振れ幅は増やしたくない!だって、つらいんだもんっ。ってゆースタンスで考えていくから、バイアスがかかってるのは承知で進めます!

 

まず仮説①について。

 

仮説①

仮説①
情緒の振幅の振れ幅を増やすことで、相対的に幸せを感じることを続けることは可能か。(2019年の状況は再現性があるか)

 

これは前提として、自分をいじめる必要があるのが難点に感じます!

 

振幅の振れ幅は、相場で例えると、波の高値と安値幅を指します。

 

山で言うと、麓(ふもと)と頂上の差を指していて。

 

何がいいたいかって、下が深かったら相対的に高く感じれてしまうんですよね。

 

また、2019年と同じ状況というのは、友達と飲んでいるときに幸せを感じて泣いてしまうくらい感情的になっている状態です。

 

この時は、今思うと幸せだったんだけど、そもそもそこに行きつくまでの日常が辛すぎるんですよね。たぶん脳内でもいろんなリミットがかかったり、防衛策として現実逃避多めになったり。

 

あとは、下振れしているときに他人に迷惑をかける可能性も高い。ってのも自分的には嫌だから、この仮説は否定したい。ぜひ。とも。笑

 

そもそも、相対的に幸せを感じたいのであれば、

 

幸せ⇔苦痛

 

と考える必要はない!ってゆー説にもっていけばいけるかもしれないって考えましょう。

 

ヒルティの幸福論でも、一週間に六日間を一生懸命働くことの中に幸せがある。惰性や怠惰から幸福は生まれない。って言ってるし、

 

精神的苦痛を、単なる目的達成のための努力と代替してしまえば解決なのではないか。って考えにたどり着きました。

 

相場的なたとえが自分でしっくりくるからこれで例えます。

 

振幅の安値は努力で掘っていけばよくて、

 

高値は結果であげてくれたら、相対的な幸せを継続的に感じることができるのではないか。ってのが結論です。そのためには強い上昇トレンドを作るしかないけど。。。

 

ずっと上昇というのは、相場で言うと異常値である可能性が高くなります。休憩のない急騰は、どこまで行くかわからず、コントロール不可である日突然急落します。

 

だから俺が目指すのはこんな相場!笑

AUD/NZDの緩やかな上昇トレンドですね。

 

30分足の特徴は分析したことないけど、フラクタルを信用したら、どのタイムフレームを見てもこんな形だから、

 

こーゆー波を人生でも形成したい!

 

脱線が激しすぎた!笑

 

結論
いける。

 

次に仮説②の方考えます!

 

仮説②

仮説②
振幅を増やすことなく、泣けるほどの幸福(感情の上振れ)を感じることは可能か。それは今後何度も感じることは可能か。

 

これはなにが言いたいかというと、

 

 

波を作らなくても、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。

 

は可能なのかということです!プリンセスになりたい!

 

でもここまでくると、幸せの価値観の話になってしまう気がしてきました。

 

流石にそーゆー脱線はしたくないから、ここで僕の幸せを簡単にお伝えしておくと、休日に飲みたい人と飲めることが幸せとしておきましょう。

 

そうすると、いつまでも幸せに・・・というのはここでいうと、毎日友達と飲むことに該当する気がします。

 

これは、、、流石に俺も友達も求めてないし、

 

なにより生き方としてかっこいいって思わないからやろうとも思わない。笑

 

 

という意味でも、努力や精神的な苦痛があって初めて幸せが顔を出すという考え方は、あっているような気がします。

 

次に直近で飲む予定があるのはー、ゆずるかな。聞いてみよ!

 

結論
いけない。

まとめ

ということで、ある程度求めていた結論までたどり着きました。

 

タイトルがそもそもの答えだったんだけど、そういう過程もあって、俺は努力を死ぬまでし続けるのだろうなって思いました。

 

それこそジャンキーのように!何かに一生懸命になっていないと落ち着かない体に仕上がっているように感じます。

 

でもね!その分、俺は友達と一緒にいる時は、俺が一番楽しんでる自信があるんだよ!マジだよ!俺はいつも楽しいよ!

 

なぜなら!普段がんばってるから!!あははははは!

 

 

おしまい。